その時。音楽家の身に何が起こったのか。

音楽を創る事で、音楽家の身に何が巻き起こっているのかを綴るブログ

基準が行方不明

f:id:TakuTakamiya:20210314103759j:plainニッチの皆さん、こんにちはこんばんわ!
ニッチ無名音楽家の高宮です!

最近気になる事がありまして。それは

基準が行方不明

って事で。
増えた減った高い低い新しい古い。
って日常で無意識に言ったり聞いたりするけど、「どこを基準や軸としてるのか」
ってあんまり考えなくないですか?

例えば、
お金
体型
年齢
友達・知人の数
世代
趣味
正義
善悪

お金は、沢山あった方が幸せな生活を送れる。少ないと不幸な人生。
自分の体型は、痩せてるのが良くて太ってるのは嫌だ。
年齢は若いのが美しくて、老いは醜い。
とかの話って、いくらでもあると思うんです。
でもそれどこ基準ですか?

そこに漂ってるのは『みんなの基準風な空気』

基準なんて、言っちゃえば個人の考えとか視点で違う。みんなの基準風な空気は案外息をフッと吹きかけたくらいで容易に崩壊する。
だって、都心に住んでる人と地方に住んでる人じゃ認識全然違いますよ。
いや、自分も家族も友達も道ですれ違う見ず知らずの学生も老人も子供を連れてるお母さんも子供も、それぞれに違った自分だけの価値感ってのが絶対ある。
それを、歴史上の誰かや何かが利便性や統治する為等に「基準として決めたもの」を自分の人生なのに自分が何かをしたり考えたり行動する上での「基準」にするってのは
そもそもそれが不自然って事ないですかね?

「いやそんなん分かってるけどさ、社会で生きてく上で必要な事なんだよ。」
「マジすか?」
「常識だよ」

常識って事は、社会に合わせるって事が自分の意思や人生より大事な事ってのがみんなが共通として持ってる認識で、要は社会が「あなたいらないから死んでください」って言ったら「はい!わかりました〜!」
って喜んで死ぬってのが常識って話かー。
そう言われると大概そんな事はないって受け入れないでしょう。
でも生死に関わるような極論で言えば分かるのに、無意識で色々な事に

平均化

を導入したり、周りに教育したりする。
この事こそが害悪。いやクソだと思うんですよね。

私が携わる音楽にも、この平均化の同調圧力が蔓延ってます。
日本で活動しようとすると
30までに結果出さなきゃ辞めて違う職業に就くとか就きなさいとか
音楽でメシを食えなきゃダメだとか
インディーズはアマチュアだからダメでメジャーでデビューしてプロにならなきゃとか
よく聞くし、恥ずかしながら昔は私も話してた。でも自分で事実を見ていくとどっかでデマを刷り込まれてたんだって気付く。
こんなん何十年前からの話引きずってんだか、現代じゃもう全部嘘っていっても良いくらいの与太話。
もう都市伝説で、信じるも信じないもあなた次第です!状態。
不思議なのは、音楽やってるのにビジネス的な話ばかりなんですよね。
むちゃくちゃ良い曲を創って演奏したい。とかって他人とあまり話したりしない。
思ってはいるだろうけど。
つまり、収益が前提にあって音楽があるって平均化をいつの間にか刷り込まれて、聞いたり話したりしてる。
いつも挙がってくるのは音楽と収入の問題。
つまり、音楽をやるというのは一握りの人間しか生活を賄えるくらいには稼げなくて、それをやるにはリスクが伴うって話。
それホントですか?
だって、一人むちゃくちゃ金持ちの支援者がついてて活動や生活に関わる費用の一切を払ってくれるなら、音楽をやって一銭も稼ぐ必要ない。
音楽をやる=お金が稼げない
ってのは成り立たない。
音楽をやる=お金を稼がなくて良い、と言うかお金を稼ぐ為に音楽をやる必要はない
だ。
「音楽でメシを食う!」
って同じように何十年前の話引づって来てんだよって思うし、純粋に音楽のストリーミングやCDや物販や今は難しいライブのチケット収益等で生活費が賄える状況を指しているのかもしれないが、それをやるには音楽家がビジネスセンスも持ち合わせていないと成り立たない。そういう意味ではずば抜けたビジネスセンスと音楽センスを持ち合わせた人しか「音楽でメシを食う」ってのは実現できない。
そんな人なんてそうはいないから確かに一握りの人間だけになる。
音楽でメシを食うじゃなく「自分の類稀なる音楽センスとビジネスセンスを使って生活費を賄う!」
なら分かりますが。
私自身は音楽をビジネスとして成り立たせるセンスはそこまで高くないと思ってはいるし、そこを目指すのに全然テンションが上がらないんですよね。
それより、良い曲を書く為のインプットとアウトプットに時間を使いたいって思うし、
誰にも邪魔されずに自分の好きな音楽を創ってそれを聞いてくれる人がいる状況こそが幸せだと思うんです。
アートを創るアーティストってそんな人間なんです。
じゃあ成功像にあぶれたアーティストの音楽って価値がないんですかね?
ん〜私はそうは思えない。
ある種勝ち残った誰かの曲と私の曲をブラインドテストで100人に試聴してもらったとして
100:0って結果が出るなんて事は絶対にない。
それは性格や価値観と同じで、好きな音楽なんてみんな違うのが自然な事だから。

音楽と収入を同じ位置で見てるから、社会人になったり環境が変わる事で音楽を辞めたりしてしまう。
辞めるな!なんて啓蒙ではさらさらない。やりたいヤツはやるだろうし。
でも、みんなの基準風な空気に飲まれて、ホントはやりたいけど音楽を辞める人が出るのはなんか不健全。
良い音楽は常に自然と出てくるベキですよ。だって良い曲聞きたいじゃないですか単純に。
才能ある老若男女LGBTQの音楽が自然と出てきて欲しい。
特にLGBTQの音楽家は、海外ではサムスミスでもクイーンでもエルトンジョンでも当たり前のように聞いてるし新たな音楽も出てくるけど、日本のLGBTQ音楽家って耳にする機会がほぼ皆無だ。
そうカテゴライズして聴く必要もないが耳にしないのが不思議。TVのバラエティーやニュースに出演するタレント(?)には寛容なのに。
日本のLGBTQ音楽家人口が少ないのかもしれませんが、何となく不自然さというか何かに芽を潰されてるような気もしてしまう。
私はライブしてる時、何度かそういったアーティストと共演しましたけどね。何であまり耳にしないんだろ。

日本のLGBTQ音楽家を例に上げましたが、目に見えない差別って全然ある。
日本では、音楽を聴く側にはリスクがあまりないのに音楽をやる側にはリスクが多いように見せてくる。
それダレトクですか?ってホントに。良い曲があれば聞きたいのに、バイアスかけて壁作って良い曲が出てこれない環境を築いて結局回り回って自分が良い曲を聞けない。
差をつけて別けるなんて愚かな事ですよ。

誰しも音楽がないと生きられない
それ大袈裟でしょうか

極論で言えば、この世が音楽が存在しない世界だったらほとんど全ての人は生きられない。
それは心身の癒しだったり嫌な仕事からの逃避だったり抑えられない気持ちの表現だったりするから。
それが全て無かったら、争いが増え狂ったり病んで死んでしまう人は夥しいくらい出るだろう。
いや音楽を崇高化してるんじゃなくて、実際に起こるだろうと思えるから。
音楽は誰にとっても必要なモノだと言って良いと思う。

音楽がやりたい人と音楽が聞きたい人は、フラットなはずだ。

だってどっちの側も、基準は「自分には音楽が必要」だから。
そこに優劣なんかありえない。

音楽の話が多くなりましたが
様々な事を平均化する事こそが善で、そこから外れたものは悪だから排除する。
なんて恐ろしい事が今も未だまかり通ったりする現代の世界を、「どこを基準として考えてるのか」見つめ直す良い機会が到来したんじゃないかって思ってます。
コレやってみると結構面白くて、当たり前だと思ってた事を改めて見てみると嘘だったり奥が深かったり。知らない事にワクワクしたりしてます。
なんか楽しいww
それぞれ色んな人が色んな事を自由にやって良い
そんなの当たり前。でも当たり前の事が出来なかった。なんて不自然。

ヒトはそれぞれが異なった基準で生きてるって事を認識して、ただそこで自然と生きれば良い
文にしたら単純で何の変哲もない事に見えますね。
それが難しいって思ったり大切な人達に思わせないように、基準の行方をちゃんと見ていったるわと思った。
要はそんな戯言なのでした。